いつまで母さん

依存症の家族と暮らす

久しぶりに空を仰いだら晩秋色になっていた

1.いつまで母さん10大ニュース

 

この数ヶ月、さまざまなことがあった。9月20日に「どんぐりの発芽」のことをブログに書いてから、今日までに起こった「いつまで母さんの10大ニュース」を書き出してみた。

1.「飲酒していない」と言っていた患者さんが隠れて飲酒を続けていた

2.長男は「もう飲んでいない」と言っていたが市販薬を飲み続けていた

3.不登校だった次女が修学旅行に行けた

4.次女は、再度、心理テストを受けて、やはり境界型知能と診断された。

5.長女がうつ病と診断された。

6.仕事が忙しかった。頭の中が飽和状態になって、こころが枯渇していた。

7.オンラインゲーム『コンパス』を始めて4年目になっていた。依存先が飲酒ではなくなったが、不眠の原因。

8.断酒はなんとか継続中

9.夫がギャンブルに行かなくなった。洗濯、炊事をしてくれるようになった。

10.そして昨日、私は、退職して無職になった。

 

2.こころが枯渇したとき

 

職場では、職業柄、患者さんやご家族の話を聞き、他職種の方のつぶやきや本音を聞き、同僚の話や愚痴や相談を聞く。傾聴と共感をくりかえし、帰宅するとヘトヘトになっていた。

 

家では、子供たちの不登校、夫のギャンブルと借金、長男の薬物依存の問題が常にある。

でも、家族と本筋に触れる会話はできない。

夫は怒るし、長男は悲しそうな表情になって会話が続かない。

次女の不登校の原因は、朝の血圧の低さと、境界型知能だった。そのためできる部分とできない部分の凹凸が著しく、周りの人に理解されにくい。そりゃ行きづらいよなあ、となり、強制的に登校しなさいとも言えない。

 

気がつけば、私は、この2年、友人にも会わず、家と職場の往復だけだった。

 

9月の終わり頃から、気を抜くと、決して考えてはいけないようなことが、頭の中をぐるぐる駆け回るようになっていた。

 

自然界でも、職場でも、「私は単なる駒(コマ)だ。周りの人から見たら、私の感情なんてどうでもよいし、あってもなくてもどうでもよいのだ」

私の存在が無意味で、無価値に思えてきた。

楽しかった仕事なのに、自分が駒に思えてきて、すべてが止まってしまったように感じた。

 

3.長女からのS0S

 

そんな中、10月の初旬に長女から「もうダメだ。おうちに帰ってもいい?」と電話がきた。「ご飯を食べるのもやっとなの」。大学生の長女からのSOSだった。普段は、弱音を吐かず、いつも笑顔で、周りに人一倍気を使う長女。中学校3年生の時以来のSOS。

 

あいみょんの「生きていたんだよな」の歌が、また、私の頭の中で聞こえ始めた。

 

大学を一度も休んだことのない娘が、1週間の休みをもらい帰省してきた。

笑顔はあるが元気がない。

1週間の帰省休みが終わり、大学に戻る娘が心配で、私と次女は、長女が一人暮らしをしている部屋で1週間、長女と一緒に過ごすことにした。

 

大学にも通えるようになっていた。

 

4.京都へ1泊旅行

 

長女の気分が晴れるかと思い、長女と次女が行きたがっていた三十三間堂や、伏見稲荷に行くことにした。私も、久しぶりに京都の街を歩いた。

嵐山と三十三間堂、伏見稲荷神社を1日でまわった。前回、1人で来た時とは違い、時間をかけてゆっくりまわった。三十三間堂の千手観音と二十八部衆に厳かに向き合い。伏見稲荷のお稲荷さんからは、ぐっと見おろされた。

そこで感じたのは、自分の声が全く聞こえなくなっている黄土色に枯渇した自分の心。

 

5.正真正銘のSOS

 

その翌日、長女は京都でも落ち着いており、動けていたので、もう大丈夫だと判断して、私と次女は家に戻った。

 

2日後、長女から「やっぱりダメだ」と連絡があり、私と次女はまた踵を返し、長女の家に向かった。

 

長女は、返事も表情も少なく、全く動けなくなっていた。

 

心療内科を受診をすることにした。大学の先生にも、単位や今後の進路の相談をした。

 

長女は、「休学だけはしたくない」という。「休学して復学した時に、今と違うメンバーで授業を受けるのはつらい。復学しても行かなくなるような気がする」とのことだった。

入学してから、皆出席、夏休みも講義があり、夏休みは2週間だけだった。それ以外にも、土曜日、日曜日は、先生からのお声かけがあり、コンクールやオープンキャンパスのお手伝いをしたりしていた。部活も始めた。

 

全ては夢の実現のため、未来のため。

 

初めての土地で、初めての一人暮らし。全て頑張って乗り越えてしまう長女の性格でも、さすがに体力、気力にも限界がある。

さらに、秋になり、急な日照時間の減少と、なかなか日に当たらない生活スタイルにより、うつ症状は増していったと思われる。

そして、1番の問題は、本人にうつの原因が思い当たらないことだった。「忙しかったけど、なんとかやれてた。友達とも上手くいっていた。ただ、今の感覚としては、中学3年生のうつ症状の時みたい。本や黒板の文字も、人の話も頭に入ってこない。毎年、この時期になると、似たような症状になるけど、今年はちょっと重症な気がする」とのことだった。

 

心療内科を初めて受診した。

「季節性のうつ病」と診断を受け、内服薬は、抗うつ薬と胃薬が半錠ずつ処方された。

さらに大学の先生の薦めで、大学のカウンセラーの方ともお話ができた。

 

6.私のこころの声

 

娘たちと過ごすうち、自分自身の奥底から消えいりそうな声が聞こえてきた。私の中でこの一年、抑圧してきた声だった。

 

退職しよう。

 

仕事の合間をぬって、職場を抜け出し、次女を学校に送ることも、もうしなくていい。

24時間、オンコールに近い職場の電話に悩まされなくていい。

娘のSOSにすぐに駆けつけられる。

夫や長男とゆっくり話ができる。

長女の身の回りの世話もできるし、通院も付き添える。

長男の市販薬物依存の治療も始められるかもしれない。

 

担当だった患者さんの顔が浮かぶ。今月の終わりに、挨拶に行こう。笑顔で。

 

駒のようでつらくても、

寂しくて悲しくても、

切なくて、理不尽でも、

 

必ず、道はあるから、

一緒に、ひたすらに、今生(こんじょう)を生きていきましょうと。