ギャンブル依存症の夫との離婚を考えた時
1.夫の家出
3番目の子を妊娠して5ヶ月目だった。
夫が、突然、通帳を持って家を出ていった。
「子供2人で精一杯なんだよ」
「3番目は、いらない」
「俺の子じゃないんじゃないか?」
仕事から帰宅した私に、この言葉だけを残して帰ってこなくなった。
ショックで言葉もなく、途方に暮れてしまった。
この時の夫の言葉は、今でもフラッシュバックで頻回に蘇る。
当時の私は、恋愛ドラマを見て疑似恋愛に浸ることはあったが、
浮気をしようと思ったことはなかった。
お腹の子と上の子ども2人と一緒に、全ての荷物をまとめて離島の祖母のところに身を寄せた。
毎日、「元の家に帰りたい」と泣く子供たちと、一年間、離島で過ごした。
3番目の子を出産し、叔母や親せきの説得もあり、再び夫と同居するようになった。
一緒に暮らしても、お互いの気持は離れていく一方だった。
2.足るを知る(知足)
結婚当初からギャンブルをやめられず、現金を持てば、すぐにスロット屋へ直行する夫。
会話をしても「お前とは結婚生活を続ける気はない」を繰り返すだけの夫。
私は、飲酒量が増えて、夜遅くから飲み友と飲み歩きをするようになった。
飲み友の何人かは、男性だった。
私の夫は、アルコールが飲めない。
私は、飲み友と飲んで食べ歩きをして、夫とは行けないようなジャズの店や、デイキャンプ、釣りなどにも出かけた。
私は、夫や子どもからの電話に、いつしか平気で嘘をつくようになった。
先輩や、兄弟からも
「男性との飲み歩きはやめなさい。家族のある身で、そういう関係になれば、熱い鉄板の上でジュージューと、身体も心も焼かれ続けているのと同じことになるのよ」
「飲んで遊び歩いてる場合じゃないでしょ。子どもがいるのよ、足るを知りなさいよ」
と言われた。
旅行や、飲み食べ歩きの楽しさなど、
外の世界を知り、背中に羽が生えた当時の私には、
その言葉は届かなかった。
私は、
飲み友たちと、あたらしい世界や知らなかった世界を見るたびに、本気で、夫との離婚を考えていた。
夫が家出をしていた1年間、私は、1人で出産や、子どものこと、引っ越しなど全てのことをした。今度は、夫がそれをやる番だ!と、自分や夫、義母、周囲にも言い聞かせていた。
ギャンブル依存症の夫から、今まで受けてきた心の傷が、その時の私の考えや行動の原動力になっていた。
子どもたちや義理母にしてみれば全く理不尽極まりない話だった。
3.夏の終り
瀬戸内寂聴さんの小説に「夏の終り」がある。
瀬戸内寂聴さんが、若い頃、夫の教え子と恋仲になり、夫と娘を捨て、
その若者と駆け落ちをした自叙伝である。
満島ひかりさん主演で映画化された。小林薫さん、綾野剛さんが共演していた。
そのDVDを見ていたら、私が、飲み友から言われたのと同じようなセリフがあった。
以下、小説より抜粋する。
「もう厭(いや)だ。僕は男妾(おとこめかけ)じゃない。あなたの扱いはそうじゃないか、でなかったら、そっちは娼婦だ、あなたは精神的娼婦だ」
「おれはずいぶん馬鹿にされつづけたと思う。あなたはで木偶(でく)だ。意志なんかない人間だ」
「夏の終り」瀬戸内寂聴/新潮社84頁
「もうどうなったっていいんだ。ぼくはもうどんな立場だってがまんする。あなたが時々会ってくれるだけでいい、ほんとにそれしか望まない。あなたが苦しむのをみるのはいやだ。捨てないといってくれ」
「夏の終り」瀬戸内寂聴/新潮社84頁
飲み友からは、
「貴女は、ずるい。ぼくは何も持っていないのに、貴女は、仕事、旦那さん、子ども、すべて持っている。ぼくは、貴女にとっては都合のいい、ただの飲み友?」
と言われた。
そう言われるまで、ギャンブル依存症の夫との離婚を真剣に考えていた。
でも、子供たちを捨てるなんてできない。
違う男性との再婚や、付き合ったり、一緒に暮らすという「覚悟」もなかった。
夫や家族との暮らしの「外」にある世界を知り、
外の自由な世界への憧れはあるが、
進んでも地獄、戻っても地獄のような気がしていた。
瀬戸内寂聴さんが、娘さんと旦那さんを捨てたのは、その男性への恋慕が理由だと描写されている。
でも、私はこの歳になって、
男性への恋慕以上に、「夫と子供との家庭」の外にある世界への「強い憧れ」があったのではないか、と思うようになった。
別の男性への恋慕だけで、子どもは捨てられない。
もっと、強い「外の世界への憧れ」と「新しい可能性への挑戦」が、当時の寂聴さんを突き動かしたのではないだろうか。
女性として、1人の人間として、
・夫と子どもと家庭の中で一生を過ごすか?
・自分の可能性や未知の世界への冒険を続けるか?
迷う時は、誰にでも訪れる。
そして「夏の終り」は、いつも、
沈みゆく太陽が、空いっぱいに余韻を残すように、
こころの中に、いつまでも余韻を残す。
子どもたちの笑顔とともに。