いつまで母さん

依存症の家族と暮らす

ギャンブル依存性の旦那と25回目の結婚記念日


夫のギャンブルは、付き合っている時から、「行きすぎてるなあ、変だなあ」

と思うことがあった。

デートもそこそこに切り上げて20時からスロットをしにいく異常さ。

 

今、思えば、あの時ギャンブル依存症だと気づいていたら、

この人と結婚しなかったかもしれない、と後悔することもある。

 

付き合ってすぐ1人目を妊娠。

結婚前だったので妊娠を報告すると、すぐに夫の両親や叔父夫婦、祖父母が顔合わせにやってきた。

 

私の母親は、「看護学校を卒業してから結婚して、また産めばいいから、今回は中絶しなさい」と言った。

 

私の母親についても、いつか書こうと思うが、いわゆる毒親で、様々な問題を抱えていた。夫の父親が「中絶は良くない」と、私の母親を説得して結納の運びとなった。

 

妊娠6ヶ月の時に結婚式をした。

 

私は准看の看護学生だったので、休学して出産した。

その後、復学し、長男を育てながら准看護学校を卒業した。

 

2人目は、それから6年後、正看護師の学校に行っている時に妊娠した。

妊娠4ヶ月の時に国家試験を受け、妊娠5ヶ月の時に卒業した。

 

3人目の妊娠は、流産だった。ショックだった。

 

看護師の仕事していたので、そのせいかとも思い、落ち込みがひどかった。

 

4人目の子を妊娠した時、夫は40歳を過ぎていた。

 

そして、

妊娠5ヶ月の時、「3人目はいらない」と言って、夫が、突然、家を出ていった。

 

夫のギャンブルは続いていた。私の飲酒も続いていた。

給料日前に、夫の所持金が100円以下ということも、よくあることだった。

 

話し合いもなく、通帳を持って出ていってしまった。

妊娠5ヶ月の身重で、小学校高学年の長男と3歳の長女を連れて、

アパートを引き払い、

荷物をまとめて、私の祖母の家に身を寄せるしかなかった。

飛行機が移動手段の離島だった。

 

家庭裁判所に行き、夫から確実に養育費が払われるよう法的手続きをした。

 

それでも、何度も死のうと思った。突然の夫の家出。

3人の子供を抱えて生きていける自信がなかった。

 

上の2人の子の出産は夫が立ち会った。

3人目の出産は、1人で、夜明け前にタクシーで病院に行き、

朝6時13分に出産した。

 

上の子たちが、泣いて、お父さんのところに行きたいという。

どこに行くあてもなく、祖母の家がある離島の空港駐車場に車を停めて、

乳飲み子を抱えて、私は、途方に暮れていた。

 

私は、保育士の免許も持っていたので、

保育士のパートをしながら、生まれたばかりの子供と上の子の面倒を私1人で見ていた。

 

 

小学校高学年の長男は離島の小学校へ転校したこと、

お父さんが家を出ていったこと、

3番目が生まれたこと、

など、彼なりに大きなストレスを抱えていたと思う。

私の過干渉もエスカレートして、勉強のことなどで、長男との言い争いが絶えなかった。

 

 

長女は、天真爛漫でみんなから好かれる女の子だったが、私が、ストレスの吐け口に、長女を怒鳴りすぎたり、お尻を叩いてしまうことが続いた。

 

 

私は、子育てに自信をなくし、長女と長男を怒鳴っては、後悔ばかりしていた。

 

結局、私の叔母と母親が仲介に入り、夫とまた、一緒に住むことになった。

 

しかし、下の子が妊娠5ヶ月の時に話し合いもせず、なんの説明もなく、突然出ていった夫と気持ちが通うことはなかった。

 

夫でなく、『同居している人』『子どもたちの父親』だった。

 

その後も、全く理由を言わす、何度も家出をくり返す夫。

 

下の子が中学生になり不登校が始まってからも、ずっと別居だった。

家出をした夫は、夫の実家で生活し、家事、炊事は夫の母親がする。

 

そうして、ギャンブル依存症の夫、アルコール依存症の私、薬物依存症の長男、不登校の娘の家族の土台がつくられた。

 

どうして『いつまで母さん』というニックネームにしたのか。

 

女として、母親として、妻として、人間として、

これからどうやって生きていけば良いのか、

 

シラフの時は、常に、この問いが自分自身に突きつけられた。

飲酒している間は、その「答えの出ない問答」を繰り返さなくても良かった。

逃げられたし、忘れられた。夜勤明け、夕飯時など、時間を問わず飲酒した。

 

今日は、25回目の結婚記念日。

子どもを育てる同士として夫と一緒にいる。

 

夫とは、趣味も考え方も、全く違う。

 

今では、私が本を読んで学んだので、夫がギャンブル依存症になった理由も理解できる。

 

夫は、生まれてすぐ見ず知らずの民家に預けられた。

 

夫の両親は、両方とも戦争孤児。

親に育てられた記憶が全くないという。夫の両親もこころに傷を抱え、子どもを育てるより、仕事優先だったようだ。

 

夫も両親の愛情を十分に得られないまま大人になった人だ。

 

ギャンブル依存症の夫のことを、哀れに思うこともある。

 

夫は、50代になっても、いつも破れてボロボロのジーンズを履いていた。それしかなかった。ジーンズから、太ももが完全に露わになっていたので、誕生日に新しいジーンズを買ってあげたこともある。

車の修理費用がないといって、落ちそうなサイドミラーをガムテープで固定していたこともある。

 

今でも、夫は、給料日前の2週間は所持金がほとんどない。

 

私たち夫婦は、家賃、光熱費は割り勘。食費は私が出している。

「光熱費が払えないから立て替えておいて・・・」と夫から言われることもある。

 

「いつまで母さん」は、そんな夫と結婚した自分へ諦めと、自分で選んだ道だから仕方ないと割り切った、切なさも込められている。

 

私は子供時代、離婚した両親を見て、「離婚」は親の身勝手だと思って生きてきた。

子どもたちから父親を奪うことはできない。今のところ離婚は考えていない。

 

「母さん家業」をやめる日は来ない。わかっている。死が訪れるまで、私は「母さん」なのだろう。

 

8月10日、25回目の結婚記念日に寄せて。