どうして「助けて」が言えないんだろう。
トラブルやツラいことがあったときに、誰に相談しますか?
高校生に聞くと「相談するのは、親や友人」と答えてくれる方達が圧倒的に多いのだが、中には、誰にも相談しない、と答える方もいる。
我が家の長男も、夫も、ツラい時に、ツラいと言わない。
2年前、自殺をしようとした長男。
市販の薬物を飲み続けた。
ギャンブル依存症の夫。
アルコール依存症の私。
なぜSOSが出せないんだろう。
その疑問に、一筋の光明を与えてくれたのがこの本だ。
私たち家族が、薬物依存、ギャンブル依存、アルコール依存になる前や・・・
自殺未遂をする前は、
SOSを出せる環境ではなかったということ。
今は、どうだろう?
家庭はSOSを出せる環境になっているだろうか?
家族の役割は果たせているだろうか?
疑問ばかりが湧いてくる。
心理的視野狭窄に陥っているから、SOSが出せない、
という。
「あなたが変わってくれさえすれば、私もそれなりに接することができるのに」
勝又 陽太郎
勝又先生のおっしゃる通り、自分を変えることを要求してくる人には、たしかにSOSを出しにくい。
中略
モノクロの「死にたい」という言葉にきちんと色をつけていく練習を積むことは、他者との新しいつながり方の構築に寄与するものと思われる
勝又 陽太郎
誰かに助けを求めるという行為は無防備かつ危険であり、時に屈辱的だ。
問題の本質は、カッターナイフや化学物質という「物」にのみ依存し、「人」に依存できないこと、より正確にいえば、安心して「人」に依存できないことにあるのだ。
松本 俊彦
人に依存できないから、物への依存症になる。
この本には、さまざまな分野で活躍されている先生方や当事者、ご家族の方々の手記が載っている。本編を通しての全ての先生方のお考えの共通のまとめとして、
- 「支援者とのつながりを切らさない」「支援者同士のつながりも切らさないこと」こと。
- 自分の気持ちを言語化する練習をする。また、そのように支援する。
- 相談する練習をすること。
SOSを出しにくい人たちだったとしても、安心して生きていける治療や解決の場を失くしてしまわないことであると理解した。
最後に薬物依存症の治療でご活躍されている
松本俊彦先生の名文を引用したい。
親として、妻として、私自身、アルコール依存症の当事者として、
安心で安全な場所を構築していくことが、どれほど大切なことかわかる。
家庭のいざこざが嫌で、アルコールに逃げていた私。
いつまで母さんは、子供たちからしてみれば、
『一生、母さん』・・・だ。
覚悟が必要だな。遅いかもしれないけど。
追記
この本では、
ドタキャン考 複雑性PTSD患者はなぜ予約を守れないのか(杉山登志郎)P68
も、私的には、とても興味深く拝読させていただいた。
私、夫、長男、娘もドタキャンの常習者だからである。性格の問題だと諦めていたが、実は、もっと深い原因があった。
ドタキャンの理由と対処法が書かれていて、とても納得がいった。
ぜひ、ご一読いただき1冊である。